Ⅰ 私達は失望しやすい者です。
ルカ18:1には「いつでも祈るべきであり、失望してはならない」ことを、弟子 達に教えるために、たとえが書かれています。不正な裁判官とやもめ女とのやりとりです。それは、ルカ18:2-6に記されています。やもめ女に注目していきます。裁判官の所に頻繁にやって来ては、「私の相手をさばいて、私を
守ってください」同じ事を繰り返し、訴え続けたのです。ついに、この不正な裁判官は根負けをしたかのように、彼女の訴えを取り上げていくのです。ルカ18:4-5のみことばです。「彼はしばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに、『私は神を恐れず人
を人とも思わないが、どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」
彼女の姿勢から教えられることは、一回で諦めない、不屈の精神を教えられます。それは、主に対する熱心さの現われでもあります。切なる動機でもあります。私達は主に対して、このような切実な思いがどれほどあるでしょうか? 心が探られます。
Ⅱ 祈り続ける大切さについて
私達は同じ事を継続するのが。困難、あるいは苦手ではないでしょうか?なぜでしょう。それは、当然ですが、飽きるからです。「継続は力なり」このことばを思い起こしますが…。
さらに、サタンも囁きます。祈りに関して、「そんなに祈っても、無駄だよ。何の変化もないでしょう」等とまことしやかな言葉で信仰者を悩まします。そんな惑わしに心を引かれないようにしましょう。先程の女やもめが不正な裁判官に訴えたように、「執拗に」「熱心に」「人の目を気にせずに」「祈ることをやめない」、現代ではこのような心
持ちはあまり受け入れられないでしょうが。みこころに叶う祈りは時が満ちて応えられるのですから。主に期待しましょう。
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」(Ⅰヨハネ5:14)